
ディズニーランドでお昼 |
■2003/02/13 (木) 帰国しました |
ご無沙汰しましたが、昨夜遅くに無事帰宅しました。「えっもう帰えっちゃったの?」という声が聞こえそうです。恥ずかしながら妻が恋しくなって帰りました(これは半分は本当)。
まじめにいうと、そのままカナダに居続ける意義が薄れたからですが、そのことはおいおいまた書くとして、とりあえず帰国しての印象を忘れないうちに記します。
(事後解説:バンクーバーからロサンゼルスに飛び、無事ディズニーランド近くのホテルに到着したが、もうそのあたり一帯どこでもインターネットで日本語は読むことはできても書けなかった。そのため、カナダに着いて以来綴ってきたこの日記も中断を余儀なくされ、再開すると同時にもう帰国の報告となってしまった次第でした。)
日本の新聞の読みやすいこと!
バンクーバーからの機中、日経新聞があった。一ヶ月ぶりのご対面。
そのなんと読みやすいことか!文字が、意味が目に飛び込んでくるではないか。今までは英語の新聞しかない毎日。まず身構えて、必死に英単語を読んで意味を想起する。日本語の新聞では活字と意味が向こうから目に飛び込んでくるのだ。いつか英語の紙面もそんな風に意味が飛び込んでくるときがくるのだろうか。
男子小便器が低くて使い良い
女性にはわからないだろうが成田で飛行機から降りて最初のトイレ、便器の低くて使い良いことにしばし感激であった。向こうのそれは常に高い、1か月間トイレに安息はなかった。
日本語で用が足りるありがたさ
空港カウンターでもどこでも英語で話さなくてもよい。これまで1か月間、常に「さあこれをどう言おうか」と常に身構えなくてはならなかったのが当然ながら日本語の場合は全然考えなくても思ったまま話せば、聞けばよいではないか。このことも新たな感激であった。
またも味わう成田−羽田間の移動のムダ
関東の人間には気づきもしないだろうが、地方の者は10数時間の飛行の後さらに、荷物を持って、3000円も出して、1時間15分もかけ羽田へ移動しなければならない。このためわざわざもう一泊を余儀なくされる人だって少なくないのだ。この不合理に文句を言う人はあまりに少ない。日本人はどうかしている。
時差もあるが、環境変化にまだ心身が順応しきれずちょっと頭の働きが鈍い。
ブランクの間のことはまた明日。 |

ロス空港のドロボー(?)ネット端末 |
■2003/02/14 (金) 海外で日本語なんてそもそも無理? |
ディズニーランドに行っている間、日記が書けず、多くの(?)読者をがっかりさせたとか。でも一番打撃を受けたのは本人自身だった。
宿は中の下クラスながらディズニーランドからシャトルバスで数分のホテル。そこのビジネスセンターには2台のネット端末が用意されており、ヤフーメールもOK。日本語も表示され、何通かの受信メールも読むことができた。
さあ返事を書こうかとIME(日本語入力ソフト)を立ち上げようと思うと・・・?バンクーバーではどこのPCにも画面右下隅に必ずあった切り替えアイコンが・・ない。ここでは英語しか使えないのだった。
しかもこのPCは調子が悪く、回線も遅い時代物で、翌日には日本語表示すらできなくなってしまった。
ディズニーランド敷地内、さらに隣接地にもホテルがある。これらのホテルはグレードが高く、私のホテルとはわけが違う。ここのビジネスセンターのPCはさすがに最新型のようだ。ここならば日記も書けるかと期待したがやはり表示まで。書くことは不可だった。
これまで日記を書いて、そして読んでもらうことがどれほど精神衛生に寄与していたか改めてわかった。メールも日記も書けないということは大変な苦痛だった。
バンクーバーではどこへ行っても日本語はセットされていたが、それは彼の地に特有の日本語の需要があったからであって、あくまで例外的だったのだ。
ロス空港で最新のインターネット端末があったので5ドル紙幣を入れて試してみた。たしか5ドルで30分くらいの料金だったと記憶するが、果たして、これは日本語の表示すらできない代物だった。5ドルは授業料として消えてしまった。
インターネットが生活の一部になってしまった人は多いだろう。こういう人は海外では腕をもがれたような不自由さを味わうことになる。まだまだ日本語は普及していないから。 |

ディズニー広場でセルフショット |
■2003/02/15 (土) いろいろな方に読まれ、励まされ |
このサイトは広く開かれたサイトであるため、いろいろな方、意外な方に読まれていることがメールを頂戴してわかった。
北海道のご出身でロスに通算29年もお住まいのSAMさんからは「札幌英会話協会には自分も通ったので懐かしかった」とのメールをいただいた。
さらに「アメリカに何十年住もうと、本人の勉強なしに英会話は進歩しません。アメリカに来たころ、「来たばかりにしては英語がうまい」とか言われてましたが現在もそのまんまのようです。」と謙遜されますが、SAMさんの日記を読むとすっかりネイティブ並みに話している様子が伺えます。一読をお薦めします。URLは下記。
http://members.aol.com/sosamu/index.html
ご主人に付いて英国・米国と通算14年お暮らしのミミさんからも次のようなメールを頂戴し大変勇気付けられました。
「日記を拝見していて自分が海外に出たばかりの頃の苦労をしみじみ思い出しました。最初に住んだのは英国ウェールズだったのですが、本当に皆の訛りが強くて聞き取れず、「一体クイーンズイングリッシュというのはどこへ行けば聞けるのだ!?」と憤慨したものです。
英国には2年おりましたが、全く馴染めず、欧州からの留学生とばかり付き合っていました。アメリカへ来てからは多少楽になりましたが、それでも電話は苦手でしたね〜。つい最近まで、居留守を使っておいて、後で留守番電話を聞きなおすことが多かったです。」
また「ただ外国に住んでいるだけでは英語は上達しない、と書かれていましたがこれも全く同感です。」とも。
当初苦労されたミミさんも現在はボランティアで各国の人に英会話を教えておられるそうです。
帯広屈指の英会話学校Joyを運営される浦島さんも言われます。「海外で学校へ通ったけど大してよくなかったってみんな言うんだよね」と。
どうやら海外で学べば、海外で暮らせば、語学は身に付くというものではないことは多くの人に立証されているようである。 |

ロスでのホテル |
■2003/02/16 (日) 厳戒の米テロ対策を体験 |
カナダから空路、米国へ入る時はカナダ側で、搭乗前に米国の入国審査を行う。バンクーバーも例外ではない。
ディズニーランドへ向かう朝、フェリーを降りるとちょうどバスが出るところだった。ダウンタウンから空港へは直接行けない。いったん空港手前の中継地点で降りて空港行きに乗り継がなくてはならないのでバスの運ちゃんに教えてくれるよう頼むと快く応じてくれて、降りるときには「あそこで○番のバスに乗れ」と教えてくれた。親切が嬉しい。
広大なバンクーバー国際空港に着いたがさあ、どこからスタートすればよいのか?
案内カウンターで訊いてこれも一発解消。アラスカ航空なんてマイナーな会社かと心配していたがさにあらず、結構たくさんのカウンターを使う会社だった。搭乗手続きの係員も「ホッカイドー?サッポロの雪祭りに行ったよ」などと気さくで良い。「えっこんなに簡単に簡単に済んでしまうの?」とぬか喜びをしてしまったが、問題はこのあとだった。
米側から出張してきている「小錦」タイプの黒人入国審査官が「なぜ一人でディズニーランドか?なぜ英語学習者がディズニーランドか?」とにらみつける。押し問答をしているうちに、突然小錦氏話を打ち切ってはんこを押して放り投げてよこした。「ああこれで無罪放免か」とほっとして次へ行くと係員がそのはんこを見て、「あそこの部屋に入って」と
指図。中に入ると係官がカバンの中身をチェック。ほとんど下着類しか入っていないので、すぐOKとなったが後味は悪かった。
搭乗直前の荷物検査・身体検査も厳重であった。
その分ロスに着いてからはそのままフリーパスでバス乗り場に向かった。
事前にクーポンでバス代を支払い済みだったのだが、どのバスがそれなのかわかりにくく往生した。考えてみると連絡バス代などは事前にまとめて払わず、その場で払うほうが楽だった。
話は帰りのロス空港。以前の海外旅行はいつも添乗員の旗を頼りだったが、今回は一人での国際線の利用もすっかり板につき、特に問題もなく搭乗となった。しかし飛行機の入口3メートル手前で直前の身体検査が待っていた。靴は脱がされ、中からかかとまで調べられ、金属探知機はどんな小さな金属も見逃さない。身体中くまなくチェックされ、米国人観光客が何やら冗談を言いかけてもまったく取り合わない。それと比べると日本の国内などはまったく真剣さが感じられなかった。 |

一人のディズニーランドはミジメ |
■2003/02/17 (月) ディズニーランド |
小学生の頃、たしか金曜の晩にプロレス中継とディズニーの番組が一週交代で放送されていた。その番組ではウォルトディズニー自らが柔和な目でディズニーランドの構想を熱っぽくかたっていたのを覚えている。
そのすばらしさに心をときめかせながら「こんな夢のようなところへ将来行くことができるものだろうか」と思ったものだった。そのディズニーランドに今自分は確かに来ている。TDL(東京)には十数年前に子供達と行ったが、あれは間に合わせでしかないと信じていた。
40数年かかってついにウォルト自身が初めて夢を実現させた「その場に」に来たのだ。そんな感慨に浸りながらシャトルバスを降りた。
朝10時、チケット売り場は黒山。かなりメキシカンが多い。券を買ってゲートへ。ここ地上の楽園でもセキュリティチェックはかなり厳重だ。「どこで朝食が食べられるか?」と案内のおばちゃんに訊く。教えに従って行ってみるともういささか食傷気味のメニューばかり。
脂っこいのと甘いのと・・・。実にこっちの人は甘いものが好きだ。
暖かさを求めてカナダから1500キロ以上南下してロスまで来たのだが、それほど温度は高くない。朝晩などはけっこう冷える。
オフシーズンだと見えて、園内に入るとそれほど混んでいない。
どの乗り物も待たずにすぐ乗れる。TDLとは雲泥である。
ディズニーランドは近年、以前の2倍以上の規模に拡大したという。
元々のディズニーランドに加えてそれ以上の規模の「カリフォルニア」、さらに「ダウンタウン」というショッピング・レストラン街である。
2日半かけてくまなく見て回ったが、私には元々のランドがやはり一番ディズニーらしく感じる。ただTDLは忠実にオリジナルを再現しているということを確認した。
でも物事を楽しむには「旬」というものがあるようで、やっと実現した夢なのに、子供の時のようには楽しめない。以前ベンチャーズのコンサートに行ったときも後半は「もうそろそろいい」と飽きてしまったのに似ている。あれほど狂ったベンチャーズだったのに。
ロス一体はメキシコその他いわゆるヒスパニック系の人が非常に多いと感じた。カナダも米国もともに移民には熱心だ。その分、価値観の違いに寛容なのだろう。また純血主義日本と対比して考えてしまう。 |

レゴおじさんは居眠り中
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2003/02/18 (火) 在日外国人講師 |
今日、帰国後初めて某英会話学校に会話の練習にいった。ここには1年半ほど前からネイティブと会話の練習をするために通っている。ここには米国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなど各地からの講師がいる。カナダに行く前から、ここでの会話にはあまり不自由はなかった。教師の話すことも理解し易かった。
しかし、実際に現地に行くとすでに多々述べた通り、聞き取りに大変苦労した。久しぶりの地元札幌の学校で以前から馴染みの講師の話し方を聞き、なんと聴きやすいのかと驚いた。
アーロンという米国人は私がカナダへ発つ前、聞き取り難くて大の苦手としていた講師だった。彼は初めて米国を出て札幌に来てまだ間がなかった。
今日は久しぶりにそのアーロンのクラスがあった。驚いた。大変聞き易いではないか。これは明らかに彼の話し方が変わったせいだ。多少私の聞き取り能力が向上したかもしれないが、それ以上に彼の話し方が変わった。訊いてみると、思ったとおり、彼は3週間ほど前からメリハリを利かせて話すように気をつけているという。彼はもともとそれ
ほど速く話す人ではない。速くはないが聞きずらかった。それはネイティブ特有のわりと平板でつながった感じのしゃべり方だったからだ。
生徒があまりに聞き取れないので自分で直したのか、あるいは誰かに言われたのかわからないがいずれにしても彼は何ヶ月かいるうちに聞き取りやすい英語に直した。
彼らは日本に長くいるうちにそのような聞きやすい英語に直していくらしい。だからそういう人を相手に会話ができるようになったからといっても手加減なしの本場では通用しないのである。それは単に速さだけではなくメリハリの利かせ方の問題でもあることがわかった。
本場でネイティブと伍して話せるにはこのように次々と段階があることをいまさらながら認識した。 |

またまたヘレンのごちそう |
■2003/02/20 (木) 旅の終わりに |
「Oh you have to go!(ああ、いよいよ行くのね)。」迎えのタクシーがドアベルを鳴らすとヘレンは悲鳴のような声を上げた。帰国する朝のことである。
長年たくさんの宿泊客、ホームステイを受け入れてきた気丈なヘレンだから別れは慣れていても、一か月間一緒に食事をし、いろいろな話をした、それにそろそろヘレンも歳だ。やはり別れはちょっとつらそうだった。
朝からへレンが予約してくれた10時半のタクシーを待つ間、お互いに時計を見てはそわそわしながらおしゃべりをした。「それで帰ったら何をするの?」「??」ときどきヘレンはとっくに説明し終えたことを訊くので驚かされる。もしかしたら少々ボケが始まっているのかもしれない。
「小さな英語教室を開くのですよ」と説明すると「それはいい」と初めて聞いたような表情なのでだんだん心配になる。
ヘレンからはいろいろ人生の知恵をもらった気がする。「自分は何の教育もないけれど(I
don't have no education.※いわゆる二重否定。間違いではあるが、実際このように使われるのだ)何にも困らなかった。
今の人のほうが高い教育を受けて貧乏している。おかしなものだ。」とか、いちいち含蓄があった。
聞けば、お金が目的でホームステイを受け入れ、会話やふれあいがほとんどないケースも多いそうだ。私はヘレンのB&B(民宿)を選んで良かったと思っている。家は築100年の骨董品だったが、4組もの客を収容できる空間をほとんどの期間一人で独占できた。
インターネットはなかったが、毎晩おいしい料理で腹一杯になった。
ヘレンのデザートは絶品だったと思う。甘すぎず、満腹でもつい食べてしまった。滞在中は妻の料理が懐かしかったが、帰ればヘレンのボリュームたっぷりの料理やデザートが思い出される。
そんな別れで私の短い短い留学は終わった。50日の予定を30日に短縮して「飛ぶように」して帰ったような気がする。どうしてあんなに帰りたかったのだろう。本人も今そう思うのだから、読者はもっと不可解なことだろう。
次ページに続く。 |
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■2003/02/20 (木) 旅の終わりに その2 |
このひと月あまり、毎日40名以上の方にご覧いただいたことになる。
こんなことは私の人生でかつてなかった。もっともインターネットがあったればのことだから「かつてなかった」のは当然だが。いずれにしても得がたい体験をさせてもらった。
昨日の様に出稿が遅れるとかえってヒット数が上がる。きっと「ああまだか」というわけで何度も開いてくださる方がおられるのだろうと思う。まことにかたじけない。
期間を短縮して帰国したことひとつとってもいろいろな方から反応をを頂戴した。曰く「もう少し辛抱できなかったものか」。逆に「若い人より分別がある分、先が見えてしまうから判断も速いのは当然だ。」という励まし。あるいは「自分も若い頃は旅先で何日でも楽しめたが、中年になるとそうそうに帰りたくなるものだ。」という同情など。
「えっ、もう帰ったの?」というのも多かった。私自身、通っていた英会話学校の若い生徒さんが1ヶ月間同じくバンクーバーに行って帰った時、「えっ、もう帰ったの?」と言ったものだ。ヒトのことは早いのである。
年齢を問わず体質的に環境変化に強い人はいるようである。以前書いたT氏などは環境変化に強いどころか変化をエンジョイできる人だ。私は英語への興味は人一倍強いが環境変化には弱い。人さまざまというしかない。
今、振り返ると、我ながらよくあんなに書きまくったものだと呆れている。ひょっとすると書くことが好きだったのかもしれない。その証拠に、ロスで書けなかったときには相当堪えた。
その分異郷に溶け込まず、故郷を引きずっていたのかも知れない。
ろくに推敲をしていないものだから随所にミスもあって、自分で見返すのも苦痛なくらいである。友人知人の中には相当丹念に読み込んでおられ、いい加減な書き手を慌てさせることもしばしばであった。 |
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■2003/02/20 (木) 旅の終わりに その3 |
あんなに書きまくったのが嘘のように今は書けない。溜めずにその都度書けば簡単だったが、ブランクの間のことを何とか埋め合わせようと記憶をたどるがもう「イキが下がって」いるのだ。その時のテンションはもう再現できないもののようだ。
物事を始めるのは易しいという。反対に締めくくるのは難しいものである。さあ、こんなに多くの人に毎日読ませておいてこの始末はどうつけるのか?あとさきを考えずに始めてしまったものだ。
無責任のそしりは免れないかもしれないが、ひとまずここらで「おじさんのカナダ留学記」は終了ということにさせていただきます。
つたない文章をお読みいただきまして誠にありがとうございました。特に異郷にあってはこの日記の存在がどんなに元気の源になったか知れません。
これからちっぽけな英語教室を開き、特に中年以降の人に英語の楽しさを伝えて行きたいと思っており、そういった観点からまた新たな「日記」を「あとさき考えず」始めるかもしれません。
ご希望の方にはその時ご案内させていただきますのでメールをいただければ幸いです。
2月15日付でご紹介したMimiさんは、Samさん同様、もうずっと前から米国暮らしの様子をホームページにも、日記にも書いておられます。興味のある方はぜひ毎日お読みになってください。
こちらです。 |
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エピローグ:再録を終えて |
以上、2003年1月から2月にかけて1ヶ月余りにわたってカナダ語学留学の様子を現地から日々書き綴った日記を、ほぼそのまま本ホームページ上に再録しました。
竜頭蛇尾を絵に描いたような終わり方で恥じ入るばかりですが、それも当時の感じたものの正直な表れと思い、そのままにしました。
お読みいただいた方には心より御礼申し上げます。現在はこうして小さな英語教室を開設し、当初の目的を遂げつつあります。
2003年9月1日 須釜高雄
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