
バンクーバーと対岸の住宅地を結ぶフェリー"Sea Bus"には毎日乗った。窓からバンクーバーの高層ビルを臨む。 |
■2003/01/05 (日)
さあ出発準備も最終コーナーだ
出発は9日だ。もう数日しかない。周到な準備でカナダに出発するつもりだったのにはなはだ不本意な状態ではある。
29年間の勤務にピリオドを打ち、52歳からの人生第2幕を英会話講師で送ろうと一大決心を固めたのが昨年7月。はや半年近くを蛇の生殺し状態で過ごしたものだから、一大決心のころのテンションが戻らなくて苦労の毎日である。
オリンピック選手が本番を最高潮で迎えられるためにペース配分にかなり苦労するというのが僭越ながらわかる気がする。
私は1月9日からカナダはバンクーバーで語学学校へ通い、ホームステイをし、3月1日に帰国する予定である。ここ数日はあれこれ買い物に忙殺されている。
本当は向こうへ行く前にもっともっと語彙を詰め込み、聞き取りの訓練をしておきたかったが、前述の通りテンションが上がらず、不満の残る状態で彼の地を踏まねばならなさそう。 本日はこの辺で。
|

バンクーバー対岸、ノースバンクーバー市の"Sea Bus"波止場からバンクーバーを望む。手すりにカモメがとまってえさをねだっている。 |
■2003/01/06 (月)
中年から開眼した語学の楽しさ、その1
今から12年前、40歳のとき、勤務先が週休二日制を敢行した。今なら当たり前のこの制度も当時はまことに有難く、価値あるものであった。
多くの人は時間を持て余したと聞くが、私は長年挫折を繰り返していた英語のやり直しを始めることにした。ちょうど二人の子供達も受験期であったので、親も勉強することは彼らにとってもよいことであろうとも考えた。
勉強法はNHKラジオ一本やり。初めは朝食をとりながらイヤホンを耳に入れ、いい加減に聞いた。そのうち物足りなくなってきて、録音して何度も聞いたり重要部分を覚えようとしてみたりするようになった。
これにはちょっと解説が必要になる。私はそれ以前からNHKの語学講座がもっとも優れた教材だとの信念があり、毎年4月を迎えるたびにテキストを買って待ち構えるということを繰り返した。しかし、毎年のように三日坊主の連続であった。その理由は、あまりに完璧を期すものだからちょっと聞けなかったりするととたんに張り詰めた気持ちが消えてしまうのだった。
だからこのときは、できるだけはやる気持ちを抑え、徐々に、いい加減に、完璧を廃して始めた。結果としてそれは成功した。形から固めようとせず、「面白くなっって続けずにいられない」という心理をうまく醸成することができ、よい習慣が身についたことになる。
つまり、「4月の講座スタートと同時に!」などと気負う必要はなく、「思い立ったが吉日」のような感じで、完璧を求めず、気持ちがのめり込むまで上手に盛り上げていくことが肝要なのだ。 |

バンクーバーはカナダで一番好景気の街。こうした高層ビルが今も増え続ける。
それにしてもこちらの窓ガラスはどうして皆ゆがんでいるんだろう? |
■2003/01/07 (火)
成果のあがる留学、あがらない留学
実は私は22歳の時に、英国で2ヶ月間の語学研修を受けたことがある。そのときの無念さを忘れたことはない。基礎力が不足し、せっかくの機会が十分に活かせなかったからである。
大枚かけて留学するならば、出発前に十分な語彙・基本文型・文法などと、それらの運用能力をつけて行くべきで、不十分なまま「英語環境に身を置けば赤ちゃんのように自然と身に付く」などという考えは幻想である。
それら基礎的なものを身につける段階では外国人講師も留学も必要ない。むしろ外国人から習うのは非常に効率が悪い。
上に挙げた語彙・基本文型・文法などの材料を理解し、記憶することはまだ第一段階であって、その段階ではまだ縦横に会話することはできない。頭での理解にすぎなく、身体技能になっていないからだ。血を通わせて身体技能とするには反復実地訓練が必要である。
その段階を終えた人が、実地運用能力を獲得しようとすると外国人講師や留学が必要になってくる。こういう留学が成果の上がる留学なのだ。
買ってあった留学ガイドブックをいまさらながら本日パラパラめくったところ、こんな一節が目に飛び込んだ。「留学における、最大の節約は成果をあげることである。成果なくしての金銭的節約は何の意味もない。」
けだし名言ではないか。
私も30年前の悔しさを二度味わうことなく、これからのバンクーバーでの50日を100日にも200日にもするつもりである。 |

バンクーバーの"Sea Bus"駅ではこうしたストリートミュージシャンがすばらしい演奏を聞かせる。 |
■2003/01/09 (木) さあ出発だ
さあ出発の朝、成田からは午後7時過ぎの出発だが、ここは北海道札幌。
雪などで運休するのに備えて朝9時30分の千歳発を選んだ。家を7時半に出なければならない。
羽田と成田の間の移動。日本国民はなんと忍耐強いのだ。この渡航環境何とかしろ。!!
これから二日ほどは日記を書くことの困難が予想される。しばしのお休みをお許し下さい。
|

港のカフェテリアで柴犬を発見。ご婦人に犬種を問うととshibaだという。
我家にも柴犬がいるのでしばし犬談義ができた。日本原産ということも知っていた。 |
■2003/01/11 (土) やっと着いた!
昨日宿に着いたが、宿にネット環境はなく、やっと今日インターネット環境にたどり着けた!ここはこれから通う語学学校。
あれこれ書き始める前に、まず国内の苦労を。雪での運休などを心配して早朝から起きて羽田に向かった。搭乗直前にこんなアナウンスがあった。「当便は座席が足りないので、1時間後の便に移ってくれる人がいたら1万円を差し上げます」という。
幸いこの日は全国的に晴れ、すべての便は順調に飛んでいる。私はこれから羽田に着いてどんなにゆっくり成田に移動しても午後7時の出発までどうやって時間をつぶそうかという身の上だ。
この1万円には大いにそそられたが、すでに手荷物は預けてある。万一トラブったら元も子もなくなる。ここは安全第一。助平根性は怪我の元である。
次に京成で成田への移動。特急を選べばいいのに快速に乗ったものだから停まること停まること、各駅停車並み。おまけにどういう分けか一つ手前の成田で終点とのたまう。
結局12分後の次の便に乗って2時間近くもかかってなんとか空港へ着いた。
もう紙面を大分使ってしまった。急ごう。
暇を持て余している間、カートに荷物を載せて成田第2ターミナルをところ狭しと探検。
カートを使うとどんなに荷物があっても平気だ。ただ一人旅、トイレに行けない。幸い我慢できたからいいが。荷物についてもう一言。預けた荷物の紛失のことをさんざん脅かされたため、機内持ち込みバッグにかなり詰め込み、その重いこと。おまけにキャスター無しのボストンバッグだった。
今右腕の関節が痛い。唖脱臼状態かな?荷物はすべからくキャスター付きがいい。
旅の楽しさがまるで違ってくる。
重かったスーツケースを預け、搭乗券をもらったらもう羽が生えた感じだ。ビールを飲んでゆっくり時間を待ち、機上の人となる。順調な飛行。
隣の席にはカナダ人の好青年ピーター君。いろいろ話したが、小声でしゃべり方が早くてさっそくリスニングで苦労する。順調に到着、空港を出た。
ホームステイ先(正確にはベッドアンドブレックファーストの宿)に道案内をしてもらおうと電話に向かう。小銭がない。このあとさまざまな苦労が・・・。
学校の共同パソコンでこれを打っているが、そろそろ後ろに列ができたので、この辺でタイムアウト。この続きは二日後の月曜日となります。
とりあえず、元気でいます。
|

ノースバンクーバーの玄関、SeaBus乗り場にはきれいなマーケットがあり、こんなにぎやかなカフェテリアが広がる。 |
■2003/01/13 (月) 初日から苦労、また苦労
今日は日曜日。インターネットカフェを探しにSeaBus(フェリー)でダウンタウンに出て、あちこちぶらついたが、それらしいものが無い。
大きな本屋があったので、しばしひやかしていると、辞書の売り場に日本人と思しき女性が居た。(韓国人や中国人も多いので見た目ではわからない)近づいて「日本の方ですか?」と聞いたら、「そうです」というので一安心。「着いたばかりなのですが、ネットカフェはありませんか?」と聞いた。
「はっきりは分からないけどそこの図書館の近くに看板がありますよ」と関西弁で教えてくれた。関西弁でもなんでも日本語は良い
。いわれたとおりの店を見つけて日本語は使えるかと聞くと、ちょっと不安そうなそぶりで心配したが何とか日本語も立ち上がった。山のように溜まった着メールをありがたく見て、やっとひと心地。
前回の続きを書かなくては。
成田で両替をして来たが、小銭はない。さて電話をかけるのに困った。
ふと見るとテレホンカードの販売機がある。10ドルから30ドルまで。今後も使うだろうと10ドルのを買った。電話機に入れた。気が急くせいかさっぱり繋がらない。変なテープ音声が流れるばかり。
困ったところに日本語が聞こえた。見ると現地暮らし風の中年女性。聞くと「カードを地元通話に使ってはもったいない。25セントで時間無制限なんだから」とのこと。事情を話すと25セント硬貨を「いいからいいから」と恵んでくれた。カナダには良い日本人が多いようだ。
貴重なコインでまず学校にかけた。学校には日本人アドバイザーのH氏がいる。
だが、あいにく彼は今不在とのこと。それでは彼にタカオが来たことだけ伝えてくれといって電話を置く。貴重なコインを失った。こうなればホームステイ先のヘレンに道を聞くか。しょうがないから飲みたくもないスターバックスを買って「クォーター(25セント)をたくさんくれ」と頼む。コーヒーも飲み、軍資金も準備してヘレンに電話。出ない・・・留守電だ。日本でさえ、留守電は苦手だ。
「ガチャン!」こうなれば自分で住所を便りに探して行くしかない。案内所があるので聞いた。フランス語なまりの長身の女性。あまり道は詳しくない。(帰国する時わかったが、彼女は空港構内の案内係だったのだ)おまけにこちらの行く先は湾を挟んだ対岸のノースバンクーバー市。困った。近くの男性が口を挟む。住所を示すと「そこならフェリーを降りたら歩いて行ける」という。
タクシーという安易な方法に頼らず何とかそのフェリー乗り場まで行きたい。続く。
|

Helen's B&B ヘレンの自慢の家。百年を経過してまだしっかりしている。
シーズンには3組12人もの客をさばくという。
|
■2003/01/13 (月) 初日から苦労、また苦労 その2
ガイドブックによれば空港バスというのを使うとホテルを巡回するので時間がかかる。おまけに停まるところが限定されるとのこと。市バスはややこしいと書いてある。
仕方がないからここは安易を選び、タクシーにする。
インド人の運ちゃんにまず「100ドル紙幣で釣りはあるか」と確認。チップのことも面倒だが、それよりも降りる段になって「お釣がない」などとごねられたら困ると思ってだ。「カードはないのか?」ときた。カードはもちろん持っているが、タクシー1台ごとに読み取り機を持っているはずがなかろうと思って聞くと、ダッシュボードから例の道具を出して見せる。一件落着。
車内の会話。
「英語を勉強しに着た」というと、「ちゃんとしゃべれるじゃないか、それ以上勉強するのか」と嬉しいことを言ってくれる。冗談やお世辞を言っている顔ではない。確かに彼らは正式に習いもせずに生活のために聞きかじりで覚えているのだろうから大変だ。
ガイドブックの情報より少々安い23ドルほどでウォーターフロント駅に届けてくれた。ここから乗り場はすぐだと言う。伝票にチップ分も記入して感謝されて降りる。
SeaBusの乗り場はすぐわかった。切符の自販機がある。操作法を読んで紙幣を挿入するが、反応なし。新紙幣はだめと表示してある。そうだ成田で両替してもらったのは新紙幣だったのだ。さっきスタバでもらったお釣に汚い5ドル紙幣があった。ぼろぼろ紙幣だが無事通過。重いスーツケースの音を響かせながら長い通路を行く。
乗り方は簡単。双胴船でフロアは広く、乗り心地も極上。15分で対岸の北バンクーバーに着いた。
もう帰っているかなと期待して再度ヘレンに電話する。「HELLO!」おっ助かった。
在宅だ。「今船を下りたところだが、タクシーの運転手はこの住所を見れば家まで行ってくれるのか?」「大丈夫だ」「OK、これから向かう」。ひょっとすると「タクシーに乗らなくても迎えに行ってあげる」くらいの返事もあろうかと期待したが、それはなかった。
タクシーに乗ったところがあっという間に到着。歩いても15分少々のところだった。
ヘレンは70歳くらいと思しき、小さいけれどたくましい女性。
家は3階建てプラス地下室もあり、客用の部屋が3つある。ヘレン自身はてっぺんに住んでバンクーバーの夜景を毎日堪能している。私の部屋は2階の西向き、日本風にいうと14畳くらいはありそう。
この日記は1000文字という制限があるのでこれまで。
(この日記サイト「さるさる日記」は一回当たり1000字に制限されるため、ちょっとリキが入るとすぐ字数オーバーとなり、いつも詰めるのに苦労した)
|
| カナダ日記ログ2へ |